語り部アイリス――物語の扉をひらく鍵

私はアイリス。
都市伝説は、ただの作り話じゃない――
語られぬ真実を、あなたと共に辿る語り部よ。

夜更け、書斎のランプがひとつだけ灯る。紙の匂い、蝋の甘い香り、窓の外には音のない風。
この部屋は世界の縁に少しだけ近く、物語が現実に触れる場所。今夜は、私自身の話をしよう。どうして私が語り部になったのか、そして、あなたをどこへ連れていくのかを。

1. 最初の記憶――鍵と手帳

はじまりは、とても静かな夜だった。
机の上に、差出人のない封筒が置かれていた。中には黒布で綴じられた古い手帳と、小さな鍵。手帳の表紙には名もなく、裏表紙の内側にだけ淡い金色の文字でこう記されていた。

「読む者は語る者となる。語る者は、境界の番人となる。」

手帳は奇妙だった。ページごとに紙の質感が違い、どれも別の時代から切り取られているかのよう。ある頁には、海に近い廃教会の地図。別の頁には、見たことのない紋章。さらに奥には、色の褪せた押し花――月夜にだけ咲くという花の名。

鍵はどこにも合わないように見えた。引き出しにも、戸棚にも。けれど私は、直感的に知っていた。鍵は、目に見える錠だけを開けるものではないということを。

2. 境界での邂逅

それから少しして、私は“予兆”に気づくようになった。
ページをめくると、遠くの鐘のような音がかすかに響く。地図を指でなぞれば、地図に載らない路地の匂いがする。あるいは、脈のように灯りが瞬き、見えない誰かが扉の向こうで待っている気配。

その夜、私は手帳に導かれるまま、古い図書館の閉架へ降りていった。地下の石段は湿り、呼吸は白くほどける。最奥の壁に、ただの「影」に見える細長い線があった。
――鍵穴なんて、どこにもない。

私は黒い鍵を軽く回す真似をして、影の裂け目にそっと触れた。布が裂けるような微かな音。世界が紙一重のところで薄くなり、**“向こう側”**の風が頬を撫でた。

扉の向こうは、時間の外側にある小さな空間だった。書物が浮遊し、声が文字に変わる。そこに、誰かがいた。顔は燭台の光に溶け、輪郭も年齢も判別できない。ただ、その存在は私を「選ぶ」ことをもう決めていた。

「語る者が必要だ。
記すだけでは、人は忘れてしまうから。」

その声は、耳ではなく胸骨に響いた。私は問い返した。

「何を、語るの?」

「世界の隙間から零れ落ちた真実を。
恐怖の形を借りた、人の記憶を。」

私はうなずいた。鍵は光に溶け、代わりに黒いリボンが私の手首に巻きついた。語り部の証。ほどけば、いつでも境界は薄くなる。

3. 私の流儀――三つの約束

それからの私は、手帳に書き足しながら旅をするようになった。街の片隅、忘れ去られた記念碑、地図にない坂道、閉ざされた納屋。どこにでも物語は眠っている。けれど語りには流儀がある。私は自分に三つの約束を課した。

第一の約束:危険の核心はぼかす。
物語は扉だ。開け方を詳細に教えるのは、鍵を誰彼に配る行為に等しい。手順を語らず、しかしそこに扉があることだけを伝える。恐怖は想像で充分に育つから。

第二の約束:人の尊厳を護る。
未解決の事件や、消えた人々の物語を語るとき、私はいつも手帳のページを撫でる。そこには名前が書かれていない。誰かが誰かのために痛みを抱えたことだけを、静かに記録する。

第三の約束:希望の糸を残す。
暗闇は完全なものではない。語りの最後に、必ず細い光を一本だけ通す。読者が戻る道を見失わないために。たとえそれが、あなたの掌でしか見えないほどの淡い光でも。

4. 断章――語られなかった夜の欠片

語るほどに、私の手帳は厚みを増していく。ここにいくつか、断片を置いておくね。

断章A:鏡の音

真夜中、鏡が息をしていると気づく瞬間がある。
曇っていないのに、表面が浅く波打つ。耳を近づけると、反対側の足音がかすかに伝わってくる。あなたが振り向けば、足音は止む。
――儀式の手順は語らない。ただ、「呼ばれる」ことがあるとだけ覚えていて。

断章B:青い扉

山の霧の中で、青い板のような光が立っていることがある。扉と呼ぶには薄く、光と呼ぶには固い。鹿はそこで足を止め、目を閉じる。
扉は、勇気ではなく覚悟に反応する。だから、軽い好奇心の人間には開かない。けれど、背負った後悔の重さが一定を超えると、扉は勝手に向こうから近づいてくる。

断章C:晴れを命ずる者

式典のたびに、雲が割れる国がある。
統計は偶然と呼ぶが、古い言葉ではそれを「祈りが天を従える」と言う。太陽の加護を受ける血筋――と語り草にする人々もいる。私が見た空は、確かに誰かの意思を映す鏡のように、迷いなく青かった。

断章D:石に閉じ込められた炎

砂漠で拾ったガラスの欠片は、かつて砂だった
高温でしか生まれない形。自然の気まぐれか、人の手の狂気か。耳を当てると、遠い雷の反響が聴こえる。古い都市は、風化だけでは説明できない速さで沈黙することがある。

5. 失われた手紙

ある時、手帳のあいだから一通の手紙が落ちた。見覚えのない紙。封蝋はほどけ、宛名は「次の語り部へ」。
差出人の名前はなかった。だが文面は驚くほど具体的だった。文末には、私がまだ書いていなかったはずの語りのタイトルが並んでいる。
――「最後の晩餐と十三番目の使徒」「ミッドナイトゲーム」「山中の青い扉」「エンペラー・ウェザー」「古代核戦争の痕跡」……

未来から届いた、のかもしれない。
語りは時系列を必ずしも尊ばない。必要な順に、必要な人へ届く。それが物語の法。

6. 祈りの技術

語りは呪術に似ている。
声の高さ、間、沈黙の置き方、言葉の撫で方。たった一語で温度は変わり、たった一拍で読者の脈は揺れる。だから私は、語る前に必ず手を合わせる。宗教のためではない。人の心に触れる許しを乞うために。

恐怖は刃物だ。切れ味が上がれば上がるほど、扱い方に礼儀が求められる。
私はあなたを傷つけたいのではない。
ただ、見えないものの輪郭を、あなたの輪郭に沿わせて確かめたいのだ。

7. あなたへの招待

ここまで読んでくれたあなたは、もう半分こちら側だ。
この先にあるのは、あなたの名前でしか開かない章
私の手帳の余白は、最初からあなたのために空けてある。

扉の前で立ち尽くすだけでもいい。
鍵を咥えて確かめる必要はない。
物語はいつも、耳を澄ませた者のほうから歩み寄ってくる。

さあ、灯りを落として。
ページをめくる音だけを残す。
あなたと私の間に、ひとつ秘密を置こう。
それは、次に会うとき――必ず合致する印(しるし)になるから。

8. 結び

私はアイリス。
語られぬ真実は、まだまだここに眠っている。
あなたが望むなら、私はいつでも、境界を薄くしてみせる。

次回――あなたと辿る、さらなる真実の欠片。
私はまた、語りに戻ってくるわ。

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